内容
1.NECとテレコミュ−ティングの関わり
NECとテレコミュ−ティングの関わりは、1984年にさかのぼる。この時期社会的には通信の自由化、OAの進展などめざましい動きがあった。1984年9月にNECは「C&Cサテライトオフィス」を吉祥寺に開設した。これは我が国および世界においても初めてのサテライトオフィスの試みであった。NECはコンピュ−タと通信の融合「C&C」を標榜してきた。その考え方において世の中の流れとして、オフィスはC&Cにより相互に結ばれ、都心のオフィスであろうと郊外のサテライトオフィスであろうと自宅利用のホ−ムオフィスであろうとどこにいても自在にオフィス機能は活用できる時代は来ると考えてきた。そのための試みを開始したのがこの吉祥寺における実験である。これはNECのテレコミュ−ティング第一期にあたる。
1989年頃には東京一極集中による問題が次第に大きくなりその対応が求められ、またゆとりと豊かさを求める動きから改めてサテライトオフィスが見なおされるようになった。その時期通産省はオフィス分散化の動きを分散型オフィスと呼び、「分散型オフィスデモプロジェクト」を発足させた。NECはこの動きに呼応し、社内の体制作りをし、分散型オフィスに対する考え方、取り組み方、将来ビジョン作り、具体的プロジェクト対応、サテライトオフィス実験の推進を行なうこととした。この動きの中で1992年6月には2つのサテライトオフィスが開設され、運用に入った。それらは「C&Cフレオ大阪」と「C&Cフレオ浦和」である。これが第二期である。
1993年の現在はこれらサテライトオフィスの運用と実用化、さらに新しいサテライトオフィスの計画、裁量労働制実施に関連したテレコミュ−ティング対応、オフィスにおける電子メディアのさらなる活用に向けての対応などを社内活動として進めている。また同時に社外的には官公庁および日本サテライトオフィス協会を通じてテレコミュ−ティングの社会的展開につき対応を進めている。これが第三期である。
2.テレコミュ−ティング第一期
−−吉祥寺サテライトオフィス
NECのテレコミュ−ティング第一期は1984年に始まった。この時期、コンピュ−タと通信の融合であるC&Cの基盤が社会的に構築されつつあった。現在のNTTの前身である日本電信電話公社から将来の公衆デジタル通信サ−ビスとなるINSサ−ビスの実験を始めるにあたり、INSサ−ビスの応用実験への参画要請があった。当社は武蔵野地区におけるINS実験へ参画するということで、吉祥寺にサテライトオフィスを開設し、そこで高度に情報通信を活用したオフィスを作り、ベ−スオフィス(サテライトオフィスを子と考えるとき親となるオフィス)と一体化した業務の実現できる環境を作り出そうと考え、このようなオフィスをサテライトオフィスと呼ぶこととした。そしてここを「C&Cサテライトオフィス吉祥寺」と呼んだ。この実験に先立ち、ホ−ムオフィス実験も行なった。約1ヵ月の間、社員の自宅に通信端末を置き自宅をオフィスとする実験を行なった。結果的に自宅においては会社業務と私生活の分離が不十分となること、また費用の点からも充実した情報通信設備や通信網の設置はサテライトオフィスの方が容易との結論が出され、テレコミュ−ティングは当面サテライトオフィスで行くということになった。
吉祥寺のサテライトオフィスは1984年9月より1990年9月まで継続された。そこではINS実験のための各種情報通信システムが設置され、その有用性の確認が行なわれた。また社内の多くの部門が実験に参加し、各種の業務につきそのサテライトオフィスへの適合性が検証された。ソフトウェアの開発環境のあるべき姿が検証された。またソフトウェアの遠隔作成実験が行なわれた。これらの成果は直接、間接に事業に取り入れられた。すなわちその頃から盛んになったソフトウェア工場の地方展開、ソフトウェア開発環境の充実にあたりここでの実験成果が参考とされた。
3.テレコミュ−ティング第二期
−−通産省デモプロジェクト
第二期は1989年頃から始まり、東京への首都機能の過度の一極集中の弊害が叫ばれるようになった時期である。この時期には各省庁が参画して多くのサテライトオフィスおよび首都機能の地方分散に関する調査研究が行なわれた。中でも特筆すべきは通産省による分散型オフィスデモプロジェクトの実施である。それまで自然発生的であった多くの実験がこのデモプロジェクトのもとに体系的に編成されるようになった。またそれら多くの実験内容と結果が報告書としてまとめられ、配布され、分散型オフィスへの関心が一気に高まった。通産省により分散型オフィスのタイプは以下の4つに分類された。
これら4つの各々に対し通産省により分科会が設置され、事務局が作られ、デモプロジェクトの認定が行なわれデモプロジェクトが実施された。
NECはテレコミュ−ティングの先駆者として、このデモプロジェクトに積極的に参画する姿勢を明らかにした。これに対応するために社内的には全社委員会であるC&C委員会の中に「分散型オフィス分科会」を発足させた。そこで社内の分散型オフィスに対する取り組み姿勢を明確にし、将来的・全社的・共通的という社内では最も対応の困難なプロジェクトへの対応体制を固めたのである。なお事務局は社内OA推進部門と新市場開発部門とで構成することとなった。ロ−カルオフィスについてはすでにソフトウェア工場の地方分散化を分身会社政策として高度に進めており、NECとしてはその他の3つの分野に対応しようということになった。
サテライトオフィスについては吉祥寺が使命を終え、新しい役割をもつものの構想が進んでいた。それは逆サテライトオフィスの考えによるものであった。大阪におけるNECの拠点が大阪都心から少し離れた大阪ビジネスパ−クにあるため、サテライトオフィスをむしろ淀屋橋という大阪の都心に設けて都心に集中するお客様への対応を充実させる「お客様近接型サテライトオフィス」を作ろうという構想であった。それと同時にこれからの、暮らしの豊かさを充実させる社会の動きに対しては長くなる一方の通勤時間問題をなんとか解決するために「職住近接型サテライトオフィス」を設置する必要もあると考え、これについては設置運用費用を最小にすることを第一に考えることとし、まずは浦和に設置することとした。これら新しい形のオフィスは「C&フレックスオフィス」と呼ぶこととし、略称は「C&Cフレオ」とした。すなわち「C&フレオ大阪」と「C&フレオ浦和」とが同時に計画されるた。
リゾ−トオフィスはNECのお客様である長野の昭和建物殿が通産省プロジェクト対応で研究会を構成することを計画されていたのでその計画に参画することとした。このプロジェクトは「千曲川リゾ−トオフィス」と呼ばれた。これは中央線沿線の戸倉上山田地区に建設されたリゾ−トマンションの1フロアの5戸をリゾ−トオフィスに改装し利用するものであった。それぞれ十分な広さと十分な施設が用意された。またマンションの共用施設が利用でき、サポ−トサ−ビスも充実したものが用意された。研究会参加各社は参加費用の分担をし、年間ある回数の利用権を得た。NECは社内数部門の共同プロジェクトとし参加部門に利用の割り当てを行なった。丁度創造性の発揮が言われた頃で、リゾ−ト地において日常の業務から身も心も開放され新しい観点での企画を行なうということで、その効用が認識され活用された。中期計画の検討会議、プロジェクトのまとめ、研修などにおおいに活用された。もちろん、当初は仕事と遊びはけじめをつけねばならないから、リゾ−ト地でのオフィスなどとんでもないという意見は多かった。しかし一度参加した人々はリゾ−トオフィスの持つ重要性をただちに理解した。これこそ百聞は一見に如かずであった。このデモプロジェクト期間に延べ百数十人が参加し、リゾ−トオフィスを体験した。ただその後不況が訪れ、効用は認められても費用が出なくなったのは残念なことである。
ホ−ムオフィスについてはNECが幹事部門を引き受けることとなった。NECの分身会社のNEC総研がシンクタンクとして事務局活動を受け持った。ホ−ムオフィスデモプロジェクトは参加各社から15件近くのプロジェクトが登録・認定され実施された。NECは「那須リゾ−トホ−ムオフィス」に参加し、男性SEによるホ−ムオフィス実験を実施した。なお分身会社各社が積極的に参加し、数件の実験が成功裡に行なわれた。ホ−ムオフィスについては大企業本体はあまり積極的でなく、その関連会社および中小規模の企業が積極的であったのが印象的であった。十数件の性格の異なるホ−ムオフィス実験を集中的に体験できたのは大きな収穫であった。
4.テレコミュ−ティング第三期
−−現在の動きそして将来へ向けて
さて現在はテレコミュ−ティング第三期に入ろうとしている。従来の実験期から実用期への展開が始まろうとしている。東京一極集中の是正ということを主眼とした発想から、より広い環境問題へ視点を広げた対応が始まっている。国際的にもテレコミュ−ティングを広くとらえ、実効のあがる方策をめざす方向に来ている。米国の大気汚染対策としてのテレコミュ−ティング施策、フランスの地方産業活性化策としてのテレコミュ−ティング施策、タイにおける交通混雑緩和策としての公務員に対するテレコミュ−ティング施策など国が関与して施策を打ち出すケ−スも増えてきている。わが国においても鉄道の通勤混雑緩和のためのオフピ−ク運動、通信を活用することによる環境貢献、高齢化・障害者など通勤弱者のための対応、裁量労働制実施にともなう対応などテレコミュ−ティングを実施せねばならない状況も高まってきている。
NECにおいては第二期において開設できた大阪と浦和の2つのサテライトオフィスの運用管理の充実が一つのポイントである。現在実験として運用中であるが1年間の運用経験を経てまず大阪については主として営業部門の前線オフィスとしての位置付けと利用が明確化してきたので、営業部門を主体とした運用管理とする。このタイプのサテライトオフィスは十分に実用性があり、今後他の地域にも展開が期待できる。お客様の満足度を向上させるためには必要な投資であると考えられる。特にオフィスコスト低減のためにベ−スオフィスが次第に都心から郊外へ移る昨今の情勢においてはこのような都心型のサテライトオフィスの必要性が見なおされる。また極端な見方をすれば、このような都心型サテライトオフィスを数ヶ所置けば、ベ−スオフィスはかなり郊外に移したとしても企業活動の低下もなく経営コストを低下させることができるであろう。社内においてはこのような見方のもとに数ヶ所のフィ−ジビリティスタディをしてみたい。
浦和は職住近接型サテライトオフィスであるが、この型のサテライトオフィスについてはさらに運用ノウハウの取得に努める必要がある。その理由はサテライトオフィス勤務者について相当細かいサポ−トがこの型のサテライトオフィスについては必要なためである。それは勤務者一人一人の所属部門が異なり、業務内容が異なり、個人の状況が異なることへの対応が必要なためである。所属部門長の考え方でサテライトオフィス勤務者への対応が変わる。勤務者の人事異動で所属部門が変わる。上司の異動で理解ある上司が去り、未だサテライトオフィスを考えた事もなかった上司がやってくる。お客様の都合で急にプロジェクト要員に組み込まれる。家族が病気になり介護休暇が必要になる。出産育児期に入る人が出る。新しいワ−クステ−ションが発売になりふるいマシンでは仕事の能率が上らなくなったので入れ替えが必要になった。パソコンの新しいソフトが出たのでそのインストレ−ションが必要になった。利用者の数が増加したのでサテライトオフィスのブ−スの有効活用が必要になりブ−スの予約管理ソフトが必要になった。これらはすべてこの1年間におこった事柄である。しかし一方この型のサテライトオフィスの必要性も着実に増してきている。妊娠期の人は満員電車通勤が非常に苦痛である。
しかしサテライトオフィスへの通勤ならば十分にできる。そこでは仕事も十分にできる。老人介護も大きな問題である。1時間半かかるベ−スオフィスへ行っていてはいざという時に対応できない。30分でいけるサテライトオフィスであれば何とかできる。もしそれにホ−ムオフィス勤務を組み合わせることができれば、仕事をしながら介護ができる。多少の影響が仕事にあるのは否めないがそれでももしこの仕組みが無ければ長期休暇ということになる。職場としては多少仕事を組み替えても、戦力を全く失ってしまうよりはましである。また休職となれば本人は収入が途絶える。この2つのケ−スは実際にこの1年間に浦和の勤務者の中に発生した。
職住近接型のサテライトオフィスについては人一人を大切にする会社の姿勢に関わってくる。昔は情報通信の仕組みが無くテレコミュ−ティングということを考えることさえ無理であった。しかし今ならばやればできるところ迄技術はきている。多少経済性に問題があるとしても考え方によっては経済性もクリアできる。今できていないのは仕事や会社ということに対する考え方の変革である。自分を大事にすることが良い仕事をすることにつながる、個人を大事にすることが組織の良い成果につながるということを実践できる仕組み作りが今求められている。サテライトオフィス勤務者の中で次第に足が遠退いていく人がいる。必要なドキュメントがすぐに手にはいりにくい、コミュニケ−ションが不十分になりがちなど理由は述べられるが、その実態は「なんとなく上司が良い顔をしないような気がする」「自分だけ良い思いをさせて貰っている様で気が重い」「自分は確かに利点が多いし業務効率もあがっているけれど、会社はサテライトオフィスの費用が余分に出ている訳で会社に申し訳ない気がする」「上司はサテライトオフィスへ行くことについて駄目とは言わないけれど、どちらかと言えば目の前にいてくれた方が良いという」というような、雰囲気的に自分はまずいことをしているという感覚が問題を作っているようだ。逆に会社はこのようにロイヤリティの高い優秀な社員にささえられているとも言える。介護、出産育児、自己充実、これらは個人にとって避けて通れない問題になりつつある。すべてを個人の問題として個人に解決を委ねてきたこのような問題がテレコミュ−ティングという手段により会社と個人の間で解決可能な課題に転換されつつあるという気がする。
「何となく上司が」という感覚は問題であるが現実でもある。上司の立場に立ってみればこのような感覚の出てくる理由が理解できる。この高度情報化の時代においても部下管理の手段は昔からあまり変化がない。部下の業務は専門化され、個別化され、自立性が高まっているにもかかわらず、部下のやっていることの全部を把握できないと気分が悪い。部下は会議だ、他部門折衝だ、お客様対応だということで実際に目の前にいることなどほとんど無いのに、また自分も同じような理由で席にいることも少ないのに、部下はいつも目の前にいると思い込んでいる。そして自分が思いついた時にすぐに部下を呼び付けることができるものと思っている。今やリルタイムコミュニケ−ション、フェ−スツ−フェ−スコミュニケ−ションは非常に高価につくものと理解すべきである。むしろこのような事態においての新しい管理手法の開発に努めなければならない。それは電子メディアによるコミュニケ−ションである。電子メディアによるコミュニケ−ション技法を修得することが今後の企業経営にとって非常に大切なこととなる。テレコミュ−ティングはこのような電子メディアによるコミュニケ−ションを修得する大切な場を提供してくれる。テレコミュ−ティング可能な組織であるかどうかが電子メディアによるコミュニケ−ションスキルレベルが充実しているかどうかの検証手段となる。
5.トップのリ−ダ−シップ
NECのトップはテレコミュ−ティング、サテライトオフィスを十年も前から非常に大切に考えてきた。その理由をいくつかあげてみよう。
テレコミュ−ティングは実験の段階から実施の段階へとやっと細い流れができてきたように思われる。この流れを太くしかも何本にも増やしていくことが今必要である。NECはテレコミュ−ティングの元祖として今後ともテレコミュ−ティングが経営にとって、社会にとって当然の制度となる日に向けて努力を続けていきたい。
6.参考資料